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母の空襲体験

[2026.08.07]
 立秋となりましたが、まだまだ暑さが続く此の頃です。でも、まだ明るかった夕暮れ時も黄昏となり季節の移ろいが感じられます。ところで、八月と言えばあの十五日の終戦記念日が廻ってきます。今年は戦後も八十一年目となり、戦争体験の無い方が大部分となりましたので、今回は亡き母から伝え聞いた空襲体験の話を述べます。母は富山県民で、戦前には東京の親戚宅にお世話になりながら女学校に通っていました。とても自由な校風だったそうです。そんな女学校時代を過ごしていた昭和二十年三月十日に米軍B29爆撃機344機による東京への夜間焼夷弾爆撃があり死者約十万人、焼失戸数約二十七万戸の大きな被害が出ました。そのため、女学校では生徒を国許へ戻すこととなり母は実家へ戻りました。でも、その年の八月二日未明に今度は米軍B29爆撃機70機による富山大空襲があり約三千人、焼失戸数約二万二千戸の被害が出ました。実家は市街地にあり燃え盛る火の中を大勢の人びとと共に、母は自分の父親の手を引いて逃げまどったそうです。父親は大勢の人達のいる方向へ行こうと母に言いましたが、空襲体験のある母は頑として言う事を聞かず、父と共に人のいない農地へと向かったそうです。田んぼのあぜ道を一列になって人々が逃げて走っている中を米軍戦闘機が上空から機銃掃射を行い、母の目の前の人が撃たれて亡くなりました。今にして思えば、母は二度も空襲に遭いながらも生き延びた大変な強運の持ち主だったと思います。八月が廻ってくると、私はふと昔の母から伝え聞いた話を思い出します。
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